ひらログ

ひららかのブログ

組合

 脅迫めいた勧誘を受けて以来、労働組合には入らないと決めている。先月の昼休み、組合員は親しげな笑みを顔に貼りつけ、突如として私に近寄り、まだ迷っているのか、というようなことを言ったのだった。加入の意思はないと私は告げた。「会費を払わずに恩恵だけ受けることに罪悪感はないのか」「会社となにかあったらひとりで戦うのか」と尋問はつづいた。「ありません」「辞めます」とだけ答えると、組合員は目に見えて動揺し、「決心は固いようですね」と吐き捨てて去った。

 組合に加入していない新入社員はほかにもいたが、組合員は私を目がけ、狙いを外したのだった。歳下の女だから見くびられたのだ、とこぼすと、男性社員たちは「そんなことはない」と驚いたり笑ったりした。私は彼らが属性によって私を軽んじないことを喜び、彼らの属性によって軽んじられた経験に乏しいことを羨む。

 私の直観も立腹も、被害妄想ではなかった。組合を脱退すべく事務所に出向いた同僚は、「女の子がひとりで来るなんて勇気があるね」と迎えられたそうだ。すなわち、あの組合員は「女の子」に対する自身の優位性を認識したうえで利用し(ようとして失敗し)た。そのうえ、労働組合の事務所は「勇気」をもって行かねばならないところである、と公言するなど笑止の沙汰だ。

なきあと

 粉飾の多い弔辞を述べられるのは耐えがたいからしばらく死ぬまい、と決めている。とはいえ、ながらえたいと願うものには死にどきも死にかたも選べないから、実際にしているのは、帰宅したら「今日も弔辞を述べられずに済んだ」と思うことだけだ。

 「あってはならない」「痛ましい事件/事故」が報道される。被害者はきまってうつくしき犠牲者であり、「未来ある若者」「仲睦まじい夫婦」「善良な市民」など言い回しは多岐にわたるが、修飾部の使いみちはみなひとしく、扇動と糾弾を狙いとしているに違いない。私は考える。老人なら、ひとり身なら、犯罪者なら、死んでよかったか。亡くなった人の属性によって、罪の重さを、ひいては命の重さをはかるのは愚劣な真似だ。

 私がいま死んだら、波紋を生ずる役にはかなり立つだろう。私は「まさにこれから羽ばたいてゆこうという新社会人」だから。あるいは、失踪などしようものなら、「はじめからこの世界には不向きだったようなところがあって」といった詩的散文を吐きかけてもらえるかもしれない。生者の道具になりはてた死後を想像すると、恥ずかしさで息がつまる。この身なきあと、私を愛した人はことばを、そうでない人は記憶を、すっかり喪っていただきたいのだ。

 先月のことだった。精神の成長が止まった、とふいに思った。十代のころ、そのうちのいつだったかは記憶にないが、もう身長は一生伸びない、と、なにか明るくしずかに絶望した年があった、あの感じがした。

 私は焦った。杞憂にすぎないのかもしれない、あるいは、そんなものはとうに頭打ちになっているのかもしれない。事実は確かめようがない。ただこの感覚を振り払いたかったから、なぜそんなふうに思うのかと自問した。おそらく疲れているのだ。睡眠不足、窓のない会議室、ふつうのいい人たち(だれということはなく、一方向へうごめく集合体のことを言っている)との摩擦、それらのくりかえしからなる五日間。および、この生活が永続するのではないかというおそれ。閉塞。そのせいでまともに頭が働かないのではないか?

 今月に入って原因を突き止めた。手帳の、カレンダーの隣にある縦長のメモ欄が、四月はまっさらだった。ふだんはそこに、読んだ本や譜読みをした曲の題を書きとめている。こんなことは、大学にいるあいだ、いちどもなかったのだ。あたらしいことばの摂取を怠って、私は栄養失調と呼吸困難に陥っていたらしい。それできのう、閉館間際の図書館に駆け込み、いま、手帳の隅には短い走り書きが躍っている。

手紙

 二三歳になってはじめての夜更けを迎えた。私は連休明けの生まれだ。ついでに、心身ともに丈夫ではなく、なにもしない時間をこよなく愛している。それで誕生日前夜、すなわち出勤前夜は気がめいり、誕生日のことなどすっかり忘れてしまう(もとより日付というものに関心をもたないほうだ)。家族が祝ってくれたおかげで、かろうじてこれを書きとめている。

 週末、乾杯のあと、最愛の宇宙人から手紙を受け取った。目もとと頰と喉の奥をいっぺんに熱くしながら読んだ。文中に「無邪気」「聡明」などとあったのは、嬉しく、気恥ずかしくもあった。評価の妥当性を問いなおしてもかまわないけれど、彼がそう書いたということが、私にとってはすべてだ。大人のなかには、ものを言わず、知らず、考えないことを、無邪気あるいは無垢と呼ぶものがある。しかし、私が築き上げ、彼と分かちあう文法と、それは異なる。私に無邪気とか聡明とか言った、無邪気で聡明な宇宙人は、自身の感覚に忠実で、決まりきったしくみには疑いを投げかける人だ。「かわいげのない」彼はこの上なく魅惑的だ。

 じきに夜が明ける。二三歳の私はふたたび目を覚まし、バスの窓際で、開店直後のカフェで、何度でも手紙をひらくだろう。

学位記授与式のあと

 扉のガラス越しに、袴およびスーツに身を包んだ同級生たちがそろって背すじを正しているのを覗き見て、勘違いに気づいたものの、気づいたところでどうしようもありませんでした。私は今日の学位記授与を、めいめい都合のよいときに現れて手続きを済ませるものと思い込み、正午にさしかかってから、つまり開始から三〇分ほど遅れて登校しました。すると、教室ではまさしく式典が執り行われており、晴れがましさときまりの悪さとがないまぜになって、ふきだしそうになるのをこらえながら、薄ら寒いピロティにて閉式を待ちました。途中、見知らぬ団体の記念撮影を手伝って時間をつぶしました。

 かんぺきな晴れ姿の友達を眺め、お気に入りの真っ赤なセーターや泥まみれのスニーカーと比べてみて、数秒ほどためらいのポーズをとったのち、やはり卒業論文を取り戻したく、ざわつきはじめた教室にすべりこみました。先生は、私服姿の遅刻者に詰問ひとつせず、学位記を朗々と読み上げ、両手で渡してくださったのでした。周囲では小さく拍手が起こりました。友達は私の不在にうろたえたと口々に言い、再会を喜びました。ますます募ってゆく晴れがましさときまりの悪さをもてあました私は、そこにないものを思うのは愛だね、とわけのわからない照れかたをするほかありませんでした。