ひらログ

ひららかのブログ

赤の食卓

 保守論壇の月刊誌で埋め尽くされた書棚の鎮座するリビングにて夕食をとるとき、実家を出るべきだという考えは生理的欲求にも似てきて、単に生活の手段として就職を選んだのは不誠実きわまりない失策であったが、いちどはそうせざるをえなかったのだから、無駄とはいわない、必然であった、とぼんやり思う。

 問題は、とうにはじき出された結論を実行に移さず、古びた家にとどまりつづける暮らしぶりである。現在の私は、ほんとうのところつづけたかった学生でも、せねばならないと決めたはずの会社員でもない。みずから懇願し、余白に放り出され、健康と豊かさを取り戻したのだ。ただし収入は途絶えた。

 よく目立つ表紙の真っ赤な太字、隣国への罵詈雑言を見やりつつも、滞りなく「ごちそうさまでした」を発するようになった自身がそらおそろしい。著者や読者には「正しきものならばなにを言われても傷つかぬはずなのだから、われわれの〈言論の自由〉を妨げるな」と主張するものがある。恥ずべき誤りだ。私たちが手にするのは、他人から踏みにじられない権利と他人を踏みにじらない義務のみである。だれにも他人を踏みにじる権利はない。他人から踏みにじられたものに、黙って耐えたり、笑い飛ばしたり、毅然と立ち向かったりする義務はない。

投薬

 適応障害、軽度のうつ症状、と診断された。その名がいかなる意味をもつか、私に正しく把握するすべはないが、心療内科医がそう言うのだから、そういうことらしい。とにかく会社を休みたいのですが、休むのもこわいです、としどろもどろになりながら、心身にあらわれる不調を書きとめたメモを差し出し、いくつかの質問に答え終えたとき、私は病人になっていた。このことには驚きも悲しみも安らぎも覚えない。気がかりなのは、この失望からいつ抜けだせるかということだけだ。

 ほぼ予期したとおりの、承知しているつもりではあったものの認めがたい事実を聞いた──単に会社をやめるだけでは問題は解決しにくい。さいわいなことに症状は軽いから、いちど環境に慣れるよう努めてみるのが望ましい──それで明日は出社することに決まった。そのとき、やはりやめてはならないのですね、と落胆するみずからに遭遇した。私は休養の許可を欲していたのかもしれない。とかく、このやりきれない閉塞感も一過性の症状にすぎないと信じ、朝六時半の電車に乗るほかない。

 騙されたと思って飲んでみて、と、気分がよくなるという薬を処方された。私のこころもからだも、私の所有物でありながら、私の統制下にはないということを強烈に意識した。すっかり騙してほしいと思う。

海を聴きに

 一〇連休に入るのがうれしくて、海を聴きにか、海で眠りにか、退勤後にそのまま出かけた。家族には「海を見てくるから遅くなる」と連絡したが、このあたりのは黒くよどんだ水たまりみたいなもので、観賞には適さない。そもそも私は海がとりたてて好きではない。冷たい風の吹く水辺であればどこでもよろしいのだ。

 むくんだ足をひきずりながら堤防を進み、周囲の話し声が届かなくなったあたりでコンクリートに腰かけた。水は汚く、風はなまぐさい。曇天のためか、水平線は線と呼べるほどの輪郭をもたなかった。それでもいっこうにかまわない。私は海を見にきたのではなく、ぼうっとしにきたのだ。波と人工の壁が作りだす、複雑で周期的な音がたえず鳴っていた。ぶつかって砕ける、飛び散る、のみこむ、少しのあいだ凪ぐ、またぶつかる。それは半永久的にくりかえされるだろう。寒くてじっとしていられなくなるまで、ずっと海を聴いていた。

 それから野良猫の背中を眺めまわして帰った。優秀なエンジニアである友人から連絡があった。勉強好きの人だ。勉強をしたくてしていることになんの問題があるのだ、したいのならすればよい、と彼は、もっと少ないことばをつかって、焦る私に教えた。楽しい、気休めにすぎぬかもしれない勉強を、私はつづけることにする。

やめる人の話

 部署の人々とは親子ほど(と当人たちが好んで言うのだ)も年が離れている場合が多いからか、個人的なことがらを暴かれるという事態には陥ったことがない。権威勾配の存在が考慮されているのを感じる。その点は悪くないが、飲み会には別種の苦痛がつきまとう。

 私は猫かわいがりといってよいくらいの待遇を受けている。人が猫を見る目で、すなわち、恣意的に、ただ見たいように見られている。若い、かわいい、きらきらしている、純粋だ。そう評されたときに私が思うのは、この人はそういった観念を崇拝しているのだろう、ということだけだ。出身大学や習いごとを答えたときに返ってくるのは、育ちがよい、である。呆れる。私に言うべきことはなにもないから、沈黙のうちにほほえみ、ときおり首をかしげ、目を見開き、神妙にしてうなずく。私はこのとき以上に下卑た態度の私を知らない。

 私の属性、表層をほめたたえず、私の勉強してきたことに興味を示す人があった。「文学部には変わり者が多いでしょう」とその人は身に覚えがあるという顔で笑った(ところで、私の場合はそうではなく、文学部にいるあいだだけ、変わり者ではなくなれた)。自身とは縁のない感情と思っていたが、もっと早く会って話がしたかった、という気がした。その人はじきに退職する。

組合

 脅迫めいた勧誘を受けて以来、労働組合には入らないと決めている。先月の昼休み、組合員は親しげな笑みを顔に貼りつけ、突如として私に近寄り、まだ迷っているのか、というようなことを言ったのだった。加入の意思はないと私は告げた。「会費を払わずに恩恵だけ受けることに罪悪感はないのか」「会社となにかあったらひとりで戦うのか」と尋問はつづいた。「ありません」「辞めます」とだけ答えると、組合員は目に見えて動揺し、「決心は固いようですね」と吐き捨てて去った。

 組合に加入していない新入社員はほかにもいたが、組合員は私を目がけ、狙いを外したのだった。歳下の女だから見くびられたのだ、とこぼすと、男性社員たちは「そんなことはない」と驚いたり笑ったりした。私は彼らが属性によって私を軽んじないことを喜び、彼らの属性によって軽んじられた経験に乏しいことを羨む。

 私の直観も立腹も、被害妄想ではなかった。組合を脱退すべく事務所に出向いた同僚は、「女の子がひとりで来るなんて勇気があるね」と迎えられたそうだ。すなわち、あの組合員は「女の子」に対する自身の優位性を認識したうえで利用し(ようとして失敗し)た。そのうえ、労働組合の事務所は「勇気」をもって行かねばならないところである、と公言するなど笑止の沙汰だ。