ひらログ

ひららかのブログ

やめる人の話

 部署の人々とは親子ほど(と当人たちが好んで言うのだ)も年が離れている場合が多いからか、個人的なことがらを暴かれるという事態には陥ったことがない。権威勾配の存在が考慮されているのを感じる。その点は悪くないが、飲み会には別種の苦痛がつきまとう。

 私は猫かわいがりといってよいくらいの待遇を受けている。人が猫を見る目で、すなわち、恣意的に、ただ見たいように見られている。若い、かわいい、きらきらしている、純粋だ。そう評されたときに私が思うのは、この人はそういった観念を崇拝しているのだろう、ということだけだ。出身大学や習いごとを答えたときに返ってくるのは、育ちがよい、である。呆れる。私に言うべきことはなにもないから、沈黙のうちにほほえみ、ときおり首をかしげ、目を見開き、神妙にしてうなずく。私はこのとき以上に下卑た態度の私を知らない。

 私の属性、表層をほめたたえず、私の勉強してきたことに興味を示す人があった。「文学部には変わり者が多いでしょう」とその人は身に覚えがあるという顔で笑った(ところで、私の場合はそうではなく、文学部にいるあいだだけ、変わり者ではなくなれた)。自身とは縁のない感情と思っていたが、もっと早く会って話がしたかった、という気がした。その人はじきに退職する。