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ベースが弾きたい

 ベースが弾きたい。でも、日商簿記検定試験を週末に控えているから弾かない。ひさしぶりの弦楽器をひっぱりだしたら、利き手にまめができちゃうもんね。

 試験前の私をいらだたせるものは、いつだって試験勉強それ自体ではなく、したいこととしてはならないことの奇妙な一致だ。満たされない欲求の増大というより、怒張とか腫脹とかいったほうが適切なさわりごこちをもてあましている。ベースが弾きたい。

 実をいうと、ベースをもういちど弾きたがる予定はなかった。同級生や同級生の同級生とバンドを組んで、中学から大学までベースを弾いた。そして、そのあとは、二度と弾かないつもりでいた。

 嫌気がさしたのだ。バンドという濃密な人間関係の形態に。部活動やライブハウスをとりまく大気に。高校では、ルッキズムジェンダーロール、ホモフォビア。大学では、それらに加え、泥酔上等、ただれた生活ぶりを喧伝して上機嫌といったありさま(全員や特定の個人では決してなく、ある場所や場面で支配的だった価値観の話をしている)。高校生や大学生がほんの子どもであることも、「強豪校の部活」がある種の教えを説く団体じみていることも、ありふれた状況にすぎず、だれを恨むわけでもないけれど。

 そしてなにより、かなしいかな、私はベースがうまくない。それで、弾くのをやめた。バンドは楽しかった。楽しくなかったら、もっと早くにやめている。それなのに、当時を顧みれば、疲れと、気後れと、恥の色がうなじから耳たぶを染めて顔いっぱいに広がるようで、私は楽器ケースに堆積してゆく埃を払わずにいた。聴くのはずっと好きだ。聴いて満足するくらいがちょうどよかろうと見ていた。

 その目論見は甘かった。聴くだけで満足する人間は、そもそも楽器を手に取らないはずだから。わが最愛の宇宙人は、出会ったころからまぶしく見上げているキーボーディストでもある。音楽を浴びては産みだすこの人が、私をそそのかした。当人にその意図はないのだろうけれど、おすすめのアーティストに、できたての新曲に、鍵盤の上を躍る指に、腹の底をくすぐられる。数年かかってくすぐられて、もういちどベースが弾きたくなった。

 最愛の宇宙人が音楽をする動機は単純で、楽しいからしているということらしい。この場合、単純さは頑丈さであり、ゆるぎなさであるといってさしつかえない。楽しそうなところを見れば、こちらも楽しい思いがしたくなってくる。音楽は楽しい。音楽は楽しかったのだ。降り積もった埃を払い落して、いまもういちど、音楽は楽しいという私であることが、うれしい。

 これから、私も単純に音楽をしようとおもう。人間と関係する能力に欠陥があるなら、ひとりで弾けばよろしい。うまくないなら、練習をすればよろしい。楽しくなくなったら、そのときにやめればよろしい。

 ペトロールズ「よなかのすうがく」を聴きながらこれを書いた。先週末に最愛の宇宙人が教えてくれた。ベースが弾きたい。