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ひららかのブログ

二六にもなれば

 ことし二六歳になるらしい。生まれてきてしまったこと、生きてゆかねばならぬことを、どうとらえてよいのかわからないまま、なんだかんだ、おおむねすこやかにながらえ、四半世紀を突破した。

 いまのところは、歳を重ねるごとにいろいろのことがやり過ごしやすくなっている。生家の庇護下をぬけだして、私の主人がまぎれもない私自身となったことが最大の理由だろう。ふたつめは、「若いのに」だの「若いから」だのとやかく言われなくなったこと。私の能力を「年齢のわりに」という条件つきで過大評価したり、私の見解を未熟で性急な一時の感情として処理したり、経験のみにもとづくナラティブな教訓でもって私の口をふさいだりする「大人」はもういない。私がこれからの若い人に同じ仕打ちをしようものなら、ぶって止めてほしい。

 二六にもなれば、もうすこし円熟した私でありましょうか──そんなふうにうっすら期待したけれど、そんなことは全然なさそうだ。二五の時点でこのありさまだから、順当としかいいようがない。しかも、学生のころ書きとめたことばたちを読み返してみても、心境の変化と呼べるものをとりたてて感じない。年月がなんだというのだ。どこまでも、どうしようもなく、おまえはおまえだ。

 それにしてもだ。三〇代まで生きのびそうな感触を覚えはじめてなお、ファック・レイシズムとかファック・ヘテロセクシャリズムとか書き散らしている予定はなかった(そもそも生きている確信がなかったし、べつにいまもない)。傾聴とか宥和とか馴化とか、ついでに忘却とか鈍麻とかもじょうずになって、ゆとりとまろみのある人格を備えているものかと。泰然とした、飄々たる、洒脱な……やめよう。笑止の沙汰だ。いくつになっても不可能だ。年月がなんだと書いたろう。せめて部分的にでも無心になれる瞬間がほしくて、ひとつにはそのために趣味をもっている気がする。銅版で焼いたホットケーキをほおばっているときや、楽器と遊んでいるときの私は、からっぽでやわらかい。

 未来に私というものがありつづけるなら、私に告ぐ。いま、ここにある不合理や理不尽に対して、怒りや悲しみを表明することは、どれほど年老いたってやめたくない。意思表示の放棄を成熟とはいわない。それは魂の枯死だ。

 ここで問題にしているのは、上述の点ではない。初夏には二六にもなる私にとって不可解なのは、過去に対して、稀釈や美化の作用がいっこうに及ばないことだ。出身高校の印象は「エリートのマチズモの煮こごりって感じでゲロ」につきる(なんどでも強調しておくが、友人には恵まれた。ただし子どもたちを取りまく大気がゲロで、私をも含めて従順な優等生ぞろいだからゲロを吸いこんでは吐きだしていた)し、実家に顔を出す日の緊張と疲労と倦怠が霧消する気配もないし。それどころか、最近になって「他人の酔態を過剰に嫌悪してしまう自覚があるから飲み会に行かないのとか、おごってもらってばかりの自分にムカついてしまうのとか、生育環境に起因するのかもしれない……でも妹はそんなことないみたいだし育ちのせいにしたくないな……」みたいなひとりカウンセリングを頭のなかではじめた。終わったことくらい、どうでもよろしくなりたい。私のなかで終わっていないのだろう。

 とはいえ、十代のころとなにひとつ変わっちゃいない、とは決して思わない。格段に過ごしやすくなったのは事実だ。私の人生は大学からはじまったし、私の生活は三社目にすべりこんでひとり暮らしをしてからはじまった。はじめに書いたことがら以外の大きな変化は、鏡に映る顔が好きになったことだろうか。きらいじゃなくなるのに二〇年かかって、好きだといいきれるまでには二五年だ。周囲の評価はずっと変わっていないのに。失礼な寸評をよこす人には出くわさなかったし、ごく親しい人は辛抱強くほめつづけてくれた。ありがたい。ここまでに四半世紀を要したけれど、遅すぎることはない。

 当記事には総括も解決もない。まだ枯れていない朝顔の観察日記みたいなものだ。私は怠惰で狭量で粗野ながらも二五歳の大人だから、無理な目標を立てないことや、実際のところ無関係の事項どうしを因果の糸で結びつけたくなる欲求に抗うことや、結論を急がないことができる。つづきを書く唯一の条件は、来年まで生きのびることだ。

 わかっているのは、このままゆくと、突出した才能はないのに話しぶりだけノエル・ギャラガーみたいなファッキン口の悪い老人になっちゃうってことくらい。それもよいね。