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橋本愛が好きだ

(「どんな感じの男性が好きなんですか!」に対して)私が男性を好きとは限らないので質問の仕方を変えていった方がいいかなと思いました!どんな人に恋愛感情を抱きますか?とかかなあ😊(質問の答えになってない)

橋本愛 Instagram@ai__hashimoto)より

 橋本愛さん、あなたのオタクでよかった。きょうは橋本愛さんのアンサーから私が学んだこと、そのほか個人的にラブいと感じたポイントを書くね。

 

(質問の答えになってない)

 最初は「なってるよ! じゅうぶん!」と思ったけれど、たしかに質問者の要求には応じていないかも。そこがいい。

 「不用意な質問には答えなくてかまわない」という態度を著名人が示してくれたこと、すごく頼もしい。答えざるをえない人にはなんの落ち度もない(問題はいつだってたずねる人にある)が、やはり答えない人のあることは心強い。「答えになってない」と形容するには、橋本愛さんのアンサーは親切すぎるくらいだけれど。

 過去には「好きな男性のタイプ」を明かす「女優・橋本愛」を演じねばならない場面もあったんじゃないかな。そして、またそうすることもできたのに、そうはしない。強い覚悟がうかがえる。

 

どんな人に恋愛感情を抱きますか?とかかなあ😊

 改善を求めると同時に、具体例を提示するこまやかさ。ここまでいっしょに考えてくれるなんて、愛だね。

 たぶんこれって「とかかなあ」のところに橋本愛さんの実感がこもっていて、唯一の正解などないという事実をしかと受け止めつつ、「だから考えんのやーめた」で済ませることもしないからこそ、曖昧さを回避できなかったのだと私は読んだ。

 「いまの私はこう考えます」と「あなたも考えてみて」と「考えつづけましょう」のさわやかな風が吹いている(さわやかな風はオタクの主観です)。事実に誠実であろうとすればするほど、断定的な物言いから遠ざかるのはありふれた現象だ。

 

私が男性を好きとは限らない

 これ! ここすき! このステートメントは、私には立場上すでに不可能となったことでもあり、はじめからそんな発想もなかったので、しびれた。射抜かれた。そしていったい何百人、何千人のこころに光がさしただろうか、と涙ぐみかけた。

 なんのこと? っていうと、ここで私が感激したのは、<橋本愛さんは自身のセクシュアリティに言及していない>という点です。なんてあざやかなの。六色の虹がきらめいてる。それでいて、「私が」と主語を引き受けて語る姿勢にも、橋本愛さんの決意を感じる。「私は男性を好きにならないので」でも「男性を好きにならない人もいるので」でもない、軽やかで鋭い指摘。

 もちろん、「私は男性を好きにならないので」と公言する人があることも重要だ(正しくは、公言しても不利益を被らない社会であることこそ重要だ)。今後、橋本愛さんが自身のセクシュアリティを公表することがあれば、その勇気にこころからの敬意を表したい(この仮定は「橋本愛性的少数者だろう」という決めつけを意味しません)。そもそも、私自身はこちらの生きかたを選んだ立場だ──すなわちカミングアウトをした性的少数者だ。

 私はバイセクシャルを名乗るバイセクシャルであることに誇りをもっている。意義深く、この社会に不可欠で、容易ではないことをしていると信じている。だれかしらの孤独をほんのちょっと稀釈するお役に立っているのではないのかな、と願いながらことばを発している。とはいえ「人のため」なんて自負はみじんもなくて、私の生きざまとしてもっとも自然で爆イケなのはこれだと思うから、名乗りを上げてものを書いているだけだけれど。

 ただし、カミングアウトしてものを書きはじめると、ひとつだけ伝えるのが難しくなってしまうだいじなことがある。それは<当事者でなくても、あるいは当事者であることを公表しなくても、性的少数者について発言する権利はある>ということ。私がいくらこう言ってもポジショントークみを帯びてしまい、「ひららかがオープンリー・バイだから説得力があるんじゃん?」という印象はぬぐいきれない。

 橋本愛さんは、自身のセクシュアリティに言及しない立場から、特定のセクシュアリティの人々に(〈存在を等閑視する〉というかたちで)苦痛をもたらしかねない質問に対して異議を唱えた。この取り組みのすばらしいところって、性的少数者ではない人も、セクシュアリティを公表したくない人も、まねできるところ。だれもに開かれているところ。明日から使える金のフレーズです。きょうからでも、どんどん使ってこ。

 

質問の仕方を変えていった方がいいかな

 些細なことかもしれないけれど、「変えた方が」じゃないところに、橋本愛さんのあたたかなまなざしを読み取った。勝手にね。

 つまり、「私に質問をするときは、ことばづかいに気をつけて」というだけの閉じた話ではなくて、質問者に対して、「これをきっかけに、これからもずっと、ものの見方を新たにしていってね! そうした方がいいかなと私は思いました!」というエールをおくっているんじゃないかなって。

 答えにくいことをたずねたファンに対して、未来がよりよくなることを願ってくれるの? 愛だね。愛だよ。

 

 ラブいポイントは以上です。それでは、おしまいにもうひとつ。上に引用した、橋本愛さんのことばを、「橋本愛さんの地頭のよさ、人柄、機転エトセトラエトセトラがにじみ出ている」と評して片づけたくはないということを、ここに書きとめておく。

 橋本愛さんは、上の質問を投げかけられたのと同じような場面に幾度となく遭遇して、そのたびに戸惑ったり傷ついたり、後悔したり、無力を嘆いたりしてきたのではないかな。悩み、苦しみ、考えに考えぬいて、いまの橋本愛さんがあるのではないかな。

 あの投稿を一読して、「ずっとずっと考えてきた人の答えだ」って直観した。それが嬉しかった。私も考えつづける。