ひらログ

ひららかのブログ

投薬

 適応障害、軽度のうつ症状、と診断された。その名がいかなる意味をもつか、私に正しく把握するすべはないが、心療内科医がそう言うのだから、そういうことらしい。とにかく会社を休みたいのですが、休むのもこわいです、としどろもどろになりながら、心身にあらわれる不調を書きとめたメモを差し出し、いくつかの質問に答え終えたとき、私は病人になっていた。このことには驚きも悲しみも安らぎも覚えない。気がかりなのは、この失望からいつ抜けだせるかということだけだ。

 ほぼ予期したとおりの、承知しているつもりではあったものの認めがたい事実を聞いた──単に会社をやめるだけでは問題は解決しにくい。さいわいなことに症状は軽いから、いちど環境に慣れるよう努めてみるのが望ましい──それで明日は出社することに決まった。そのとき、やはりやめてはならないのですね、と落胆するみずからに遭遇した。私は休養の許可を欲していたのかもしれない。とかく、このやりきれない閉塞感も一過性の症状にすぎないと信じ、朝六時半の電車に乗るほかない。

 騙されたと思って飲んでみて、と、気分がよくなるという薬を処方された。私のこころもからだも、私の所有物でありながら、私の統制下にはないということを強烈に意識した。すっかり騙してほしいと思う。

海を聴きに

 一〇連休に入るのがうれしくて、海を聴きにか、海で眠りにか、退勤後にそのまま出かけた。家族には「海を見てくるから遅くなる」と連絡したが、このあたりのは黒くよどんだ水たまりみたいなもので、観賞には適さない。そもそも私は海がとりたてて好きではない。冷たい風の吹く水辺であればどこでもよろしいのだ。

 むくんだ足をひきずりながら堤防を進み、周囲の話し声が届かなくなったあたりでコンクリートに腰かけた。水は汚く、風はなまぐさい。曇天のためか、水平線は線と呼べるほどの輪郭をもたなかった。それでもいっこうにかまわない。私は海を見にきたのではなく、ぼうっとしにきたのだ。波と人工の壁が作りだす、複雑で周期的な音がたえず鳴っていた。ぶつかって砕ける、飛び散る、のみこむ、少しのあいだ凪ぐ、またぶつかる。それは半永久的にくりかえされるだろう。寒くてじっとしていられなくなるまで、ずっと海を聴いていた。

 それから野良猫の背中を眺めまわして帰った。優秀なエンジニアである友人から連絡があった。勉強好きの人だ。勉強をしたくてしていることになんの問題があるのだ、したいのならすればよい、と彼は、もっと少ないことばをつかって、焦る私に教えた。楽しい、気休めにすぎぬかもしれない勉強を、私はつづけることにする。

やめる人の話

 部署の人々とは親子ほど(と当人たちが好んで言うのだ)も年が離れている場合が多いからか、個人的なことがらを暴かれるという事態には陥ったことがない。権威勾配の存在が考慮されているのを感じる。その点は悪くないが、飲み会には別種の苦痛がつきまとう。

 私は猫かわいがりといってよいくらいの待遇を受けている。人が猫を見る目で、すなわち、恣意的に、ただ見たいように見られている。若い、かわいい、きらきらしている、純粋だ。そう評されたときに私が思うのは、この人はそういった観念を崇拝しているのだろう、ということだけだ。出身大学や習いごとを答えたときに返ってくるのは、育ちがよい、である。呆れる。私に言うべきことはなにもないから、沈黙のうちにほほえみ、ときおり首をかしげ、目を見開き、神妙にしてうなずく。私はこのとき以上に下卑た態度の私を知らない。

 私の属性、表層をほめたたえず、私の勉強してきたことに興味を示す人があった。「文学部には変わり者が多いでしょう」とその人は身に覚えがあるという顔で笑った(ところで、私の場合はそうではなく、文学部にいるあいだだけ、変わり者ではなくなれた)。自身とは縁のない感情と思っていたが、もっと早く会って話がしたかった、という気がした。その人はじきに退職する。

組合

 脅迫めいた勧誘を受けて以来、労働組合には入らないと決めている。先月の昼休み、組合員は親しげな笑みを顔に貼りつけ、突如として私に近寄り、まだ迷っているのか、というようなことを言ったのだった。加入の意思はないと私は告げた。「会費を払わずに恩恵だけ受けることに罪悪感はないのか」「会社となにかあったらひとりで戦うのか」と尋問はつづいた。「ありません」「辞めます」とだけ答えると、組合員は目に見えて動揺し、「決心は固いようですね」と吐き捨てて去った。

 組合に加入していない新入社員はほかにもいたが、組合員は私を目がけ、狙いを外したのだった。歳下の女だから見くびられたのだ、とこぼすと、男性社員たちは「そんなことはない」と驚いたり笑ったりした。私は彼らが属性によって私を軽んじないことを喜び、彼らの属性によって軽んじられた経験に乏しいことを羨む。

 私の直観も立腹も、被害妄想ではなかった。組合を脱退すべく事務所に出向いた同僚は、「女の子がひとりで来るなんて勇気があるね」と迎えられたそうだ。すなわち、あの組合員は「女の子」に対する自身の優位性を認識したうえで利用し(ようとして失敗し)た。そのうえ、労働組合の事務所は「勇気」をもって行かねばならないところである、と公言するなど笑止の沙汰だ。

なきあと

 粉飾の多い弔辞を述べられるのは耐えがたいからしばらく死ぬまい、と決めている。とはいえ、ながらえたいと願うものには死にどきも死にかたも選べないから、実際にしているのは、帰宅したら「今日も弔辞を述べられずに済んだ」と思うことだけだ。

 「あってはならない」「痛ましい事件/事故」が報道される。被害者はきまってうつくしき犠牲者であり、「未来ある若者」「仲睦まじい夫婦」「善良な市民」など言い回しは多岐にわたるが、修飾部の使いみちはみなひとしく、扇動と糾弾を狙いとしているに違いない。私は考える。老人なら、ひとり身なら、犯罪者なら、死んでよかったか。亡くなった人の属性によって、罪の重さを、ひいては命の重さをはかるのは愚劣な真似だ。

 私がいま死んだら、波紋を生ずる役にはかなり立つだろう。私は「まさにこれから羽ばたいてゆこうという新社会人」だから。あるいは、失踪などしようものなら、「はじめからこの世界には不向きだったようなところがあって」といった詩的散文を吐きかけてもらえるかもしれない。生者の道具になりはてた死後を想像すると、恥ずかしさで息がつまる。この身なきあと、私を愛した人はことばを、そうでない人は記憶を、すっかり喪っていただきたいのだ。