ひらログ

ひららかのブログ

若いとき

 いちばん若くてうつくしいときをくれたのだから、学生のころからつきあって結婚した妻のことを責任もって愛しぬくつもりだ、というような発言が美談として取り上げられるのを観測して、やはり私に地球人の謳う愛はなじまないのだとぼんやり思いました。「うつくしさとは若さ」、「ともに過ごすことはある種の奉仕」、「責任を果たすことは添い遂げること」、いずれもわが辞書には載っていない約束です。

 私の愛する人は、私の時間およびからだはだれの隣にあっても依然としてかんぺきに私のものであるということを知っています。むろん、彼の持ちものもまた、どこまでも彼のものです。私がいなくても平気で生きてゆきそうな彼と私は生きてゆきたく、その彼に私はなにひとつ差し出しません。私は彼のために犠牲を払わないので、彼にはいかなる責任も課せられません。かりに私と彼とがそれぞれの若いときを捧げるなり奪うなりしているとしたら、それはまったくもってお互いさまというものですし、そもそも私たちには、時間の損失となる馴れあいに興味を感じないだけの分別があります。

 みずからの人生をみずから所有することをもくろむ私にとって、愛とは、他人の未来を背負うことでも、他人の腕に身を投げ出すことでもないのです。