ひらログ

ひららかのブログ

教え子の奢り

 高校時代の恩師は、私の卒業論文につまびらかな感想をくれ、会話はいつしかほとんど議論の体をなしはじめ、ひたすら平行線をたどってしぼみつつありました。私も先生もひどく頑固なのでした。私は先生に怒ったのではありませんが、この相似形をみると腹立たしい思いがしました。先生は私の「才能」を担任のころからたたえつづけましたが、書くことを仕事にするには、私があまりにナイーブであると痛烈に自覚させるのも先生でした。認めがたくも、私は、できるかぎり読まれたいようにしか読まれたくないようです。

 まもなく、アヒージョの皿が下げられ、友人が遅れてやってきました。彼女はまるで私に似ていません。述懐と反復からなる先生の話を受けては、驚き、喜び、寂しさ、などを豊かに表明し、つづきを促すのにふさわしい質問をします。そのあいだ、感慨と呼べるものをもたず、「そうですね、いろいろなことが起こりうるでしょうね」とばかりにうなずくだけで、ときにそれも忘れてなにかしらほおばっているのが私で、喋りながら、私に「起きていますか?」といいたげな目配せをするのが先生です。ふたりは私の不躾を咎めず、先生の前にあって私は、「かわいげ」などといった考えを唾棄し、しんから甘えることが許されるのです。