ひらログ

ひららかのブログ

私の尻は私が叩く

 好きで好きで大学に通っていたものの、経済的な事情や進路に対する不安やみずからの能力の限界を悟ったことなどにより、学部卒業後ただちにまったく適性のない集団生活に身を投げた私のごとき会社員の大半は、折にふれ「大学時代のほうが意欲を燃やして生きていた」という事実に直面する。

 でもさ、二二歳で文学学術院を出て、先月から二五歳。そろそろ、根深い「大学院に行かなかったコンプレックス」と生涯をともにするのも癪だという気分になってきた。で、じゃあ、どうして大学が楽しかったのか検討しようってところまで、ようやく進むことができた。きょうはその話。

 大学生活が楽しかったのは、関心の対象(当時の私の場合は、日本の近現代文学)に接するいとなみに、多くの時間を費やせたからだと考えていた。それに、私がだいじだとかおもしろいとか感じるものに同じく興味を示す友人と、一流の専門家、膨大な資料に囲まれていたから。そして、それだけじゃなかったことに、けさ突如として気づく。

 大学は教育機関だから、カリキュラムがある。したがって、課題(卒業論文はその典型だ)と期限(レポートの締め切りも、四年で卒業するという取り決めも)と評価(イコール成績)がきわめて明瞭だ。だからがんばれたんだな、と最近になって思う。かりに、卒業所定単位数がもっと少なかったら? 成績が合格と不合格の二種類だけだったら? 私がキャンパスに顔を出すことはほとんどなかったかもしれない。

 私を地下書庫に駆り立てたものは、知的好奇心と学友と恩師、それから──課題と期限と評価の存在であった。このことには少なからず落ち込んだ。というより、気づくのが遅すぎたことに。わが尻をお叩きくださる指導教官に導かれ、辛くも卒業した怠惰な学生にすぎないくせに、みずからの内なる欲求に衝き動かされ、読み書きに耽っていたかのように記憶を改竄していたのが恥ずかしい。大学は楽しかった? あたりまえだ。決して安くない授業料には、学習計画立案代行費とモチベーション管理費も含まれていたのだ。

 尻を叩かれてはじめて走り出す人間など、ありふれていることはよく知っている。たいていの人間は怠惰だ。予備校や資格スクールが繁盛するのは、人並みに怠惰な人間のおかげだ。私は怠惰であり、多少の怠惰は必ずしも悪ではない。けれども、このしんから怠惰な魂がすべての元凶だとしたら──修士課程の幻がいまだ脳裏をかすめ、会社秒でやめ太郎をくりかえし、「生活に飽きた」などという荒寥たるツイートを産むのだとしたら──よりよく生きのびようとつとめる私を怠惰な私が殺す前に、発想の転換を試みねばなるまい。

 「怠惰」とだけ書きあらわすのは不正確だろう。課題の提出状況と成績表だけを見れば、私は申し分なく勤勉な大学生だった。でも、そこじゃないんだ。これは「それって、他人から出された宿題でしょう?」という話なんだ。私の改めるべき怠惰は、つまり、モチベーション管理を外部に委託する姿勢だ。もはやおまえは学生じゃない。にんじんをぶら下げ、尻を叩いてくれることを、周囲に期待するな。元・会社秒でやめ太郎よ、仕事の目標を立てよ。それでもつまらないなら、会社をやめてよい条件をみずからに明示せよ。

 会社をやめられるのは、収入を確保する別の方法にありついたときだけだ。当面は、この職場にとどまるほかない。ここでやることを、自力で探そう。そう思い立った私は、コンプラセキュリティゆるふわガバガバの弊社で、だれもやらない情報システム部門の業務を買って出た。買って出たはよいが、情シスのことはなにも(弊社ではだれも)知らない。それで「ITパスポートを取得します」と宣言した。資格試験は好きだ。受験料とひきかえに尻を叩いてくれる。

 根本的に仕事をしたくないわけだから、情シスだのiパスだのにもそのうち飽きがくるに違いない。いまだって、「よし! やるぞ!」という気持ちになりきれてはいない。それでも、すべきことがないより、いくぶんかましだ。習得した知識や技術が、ほかの逃げ道を開いてくれるかもしれないし。しばらくここで一日のうち九時間を過ごすことは決まりきっている。だったら、新しいこと、ほかのだれもやらないこと、勉強すべきことを、ひねり出そう。

 三社目にすべりこんだのは、未成熟な零細企業だった。ありとあらゆるしくみがゆるふわのガバガバだが、それを変える自由もある。もういちど倉橋由美子を読むための余暇もじゅうぶんにある。一社目のような、新入社員によるシステムの変革などとうてい望めない、古く巨大な組織とは違う。二社目のような、従業員に一個の人格があることを認めない代表の支配する監獄とも違う。

 私はある種の希望をかきたてながら、私の尻を叩く仕事をはじめようと決心した。