ひらログ

ひららかのブログ

友人としたいこと

王将に行く

地元の王将がいつのぞいても混雑しており、単独で乗り込むと肘がぶつかりそうなほど狭いカウンターに通されるリスクが高くて入れない(私は自分でもうんざりするくらいパーソナルスペースが広い)。ふたりがけのテーブルで顔を見ながらごはんが食べたい。いろんなメニューをちょっとずつ分けあえるとうれしい。

甘いものを食べ、ほっぺたを落とす

「ほっぺたが落ちる」経験をしたことがない。おいしいものを食べたことはもちろんあるが、頬が落ちる感覚は知らない。「どういう由来のある比喩なんだろうね」と妹になにげなく話しかけたら、「甘いもの食べたらほっぺ落ちるじゃん」と力強い返答があった。どうやら「ほっぺたが落ちる」とは突飛な空想ではなく、実体験にもとづく慣用句らしいのだ。私だってほっぺたを落としてみたい。メープルシロップとバターだけのせた、しっかり焼き色のついたパンケーキとかがいい。ほっぺ落ち経験者を求む。

散歩する

なつかしい都心をひたすら歩きたい。新宿御苑とか、上野公園とか、神楽坂とか。それか海。海にとくべつ愛着をもっているわけではなく、わけわかんないくらい規模の大きいものと対峙したときの、おもわず脱力して笑みがこぼれる感覚が好きなのだ。そういうわけで、国道沿いなんかを歩くのもよいけれど、おしゃべりがかき消されてしまうからふたり以上には向かない。となると、やはり水か緑のある散歩道が望ましい。寒い気候だけが得意なので、近いうちに出かけたい。「都心」と書いたところで、ふいに漱石山房記念館が脳裏をよぎった。

美術館やミュージカルに行く

「まとめるなよ、別物じゃん」ってところだけれど、芸術にうとい私のありかたを説明するには、この雑なまとめかたがちょうどいい。つまり、どっちもあんまりわかっていないのだ。絵画、写真、舞台……書かれたもの以外に関して、リテラシーが低いという自覚がある。解説を読んでようやく映画の筋書きがのみこめるというありさまだ。だから、ひとりで行くより、ほかの人の感想が聞きたい。案内人がほしい。といっても、高度な解説は求めない。同じ装置のなかに入って、出力される情報がいかに異なってくるのか、ともだちは目と耳をどこに向けたのかを確かめたい。

好きなものの話を聞く

人間でも、その他の生きものでも、場所でも作品でも。話を聞かせてもらった私は「好きなんだなあ」という感想をもち、「好きなんだねえ」と相槌をうつだろう。好きなともだちが好きなものについて話す時間が私は好きだけれど、話すほうはおもしろいのかわからない。おもしろがれる人は話してほしい。会話を途切れさせないとか発展させるとかいったホスピタリティがマジで皆無なのを、ともだちは「聞き上手だね」などとあざやかに換言してくれる。ラブい。会いたい。

学生のころ関心をもっていればよかったと感じるトピックを出しあって「あ〜あ」と嘆きつつ、いっしょに良書を探す

これやりたい。あ〜あって毎日となえてる。なるべくいろんなともだちとやりたい。存在そのものを認知しなかった問いにぶちあたることが期待できる。私はいまのところ天皇制とその神聖視やタブー視、モノリンガリズム、反出生主義の定義および自身の立ち位置、歴史修正主義とどう向きあうべきか、人がレイシズム陰謀論に傾倒するメカニズム、じゅうぶん人口に膾炙したことばの「誤用」をどう受け止めるべきか、などにうっすら関心がある。先生がいるうちに勉強しておけばよかった。この「あ〜あ」感もうつしあって傷を舐めあいたい。そこは必須じゃないけど。

恩師に会う

ひたすら先延ばしにしているが、これをせずには死ねないとこころに留めていることがらのうちのひとつだ。日文のともだちはぜひ。