ひらログ

ひららかのブログ

 社内でいちばん歳は近いがいちばん社歴の長い先輩に、腹の内を五割強くらいぶちまけた。(弊社は「日本人の足を美しく見せる」靴をつくって売っている。)

 自社ブランドの、私がやめるとしたら理由はこれってくらいきらいなところは、「日本人」を連呼するクソ雑さですね。「日本製」はいいですよ、そこに自信があるなら言ったら。ただ、国籍は関係なくない? って話ですよね。勤勉さも技術の高さも骨格も肌の色も、国籍に起因するもんじゃないですよね。たとえば、日本で生まれた人、日本で育った人、日本に住んでいる人、日本人を親にもつ人、日本語を喋る人ってそれぞれ別の概念なのに、その区別も考えないで、基本的には自分で選べない国籍ってものを持ち出す意味がないですよね。事実と合っていないしダサいしお客様を選んでいるみたいで感じ悪いです。

 先輩は私のいうとおりだと答えた。そのうえ、粗野な言動の含まれる指摘に対し、こころから謝意を表したのだった。先輩自身がブランドのコンセプトを立案したわけではないけれど、「なんの意図もなく、製造者の主張を鵜呑みにして、無知でそう表現しているだけだと思う」と推測し、「気づいてみたら自分が恥ずかしい」とまで口にした。

 私はこの人に対する信頼を取り戻しはじめた。残された問題は、この会社と仕事への愛着は回復しそうにないことだ。先輩は「言わなきゃいけないのもしんどいだろうけれど、代表も企画も『言ってもらえてありがたい』と受け止めるよ。直さなきゃいけないところだと思う」と今後について説明した。私のいないときに代わりに伝えてもよい、と提案してくれた。

 でも、このブランドが好きじゃないから、どこがいいのかわかんないから。どこがだめってのは言えても、ここを変えてよりよくしたいってのは、ないです。これは、だれもなにも悪くないことで、私個人の都合です──ここまで発声したところで、ぶちまけすぎた、という気がしてきた。けれど先輩はどこまでも親身だった。私が好き勝手に喋りつくしたあとで、自身の抱える課題を打ちあけ、私たちは似たようなこと(それも多岐にわたる)で悩んでいるのだと確認した。

 「日本人がどうこうって書いたのは、やめていった人やお客さんも『ん?』って思ったかもね。言わないだけで。気づいて言ってくれるのが頼もしい。ありがとう」。そんな感想を聞きながら、私は尊重され、愛され、恵まれているのかもしれないとおもわないでもなかった。そして、それ以上に当惑していた──ほんとうに、悪意はみじんもなく、無知というだけなのだな。疑問をもたなかっただけなのだな。自席の外周に厚い壁を見た。先輩にも見えただろう。

 話せば伝わる人たちなのだ。それは以前からうっすら感じていた。いっぽう、私には、ことばはなくても、信じるものや憎むものをおおむね同じくする友人や恋人がある。厚い壁の内側に招きたい最愛の他人たちを知っている。話してみてようやく伝わるという状況に、いかなる評価を下すべきか? 互いに話さなければ伝わらないことがらが、もっと別の、取るに足らないものならよかったのに。