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実家に帰らせていただきます

 じゅうぶん人口に膾炙しやがて辞書に収録されるとしても、私自身がつかうことはないだろうと(現時点では)見ている表現がふたつある。「関係性」と「〜させていただく」だ。

 「関係性」については、使用者のなかでは「関係」と明確に区別されており、意図をもって発せられているらしい。私はその現象を興味深く眺める。わが辞書には載っていないが、きらいなことばではない。

 「〜させていただく」のほうは、どうにも受けつけない。この作品に携わらせていただいて光栄です。接客時の会話は最小限に留めさせていただきます──そこにあって、必然とも必要とも思われない。

 すべての書きことばはラブとリスペクトをもって書かれていてほしい。明快な論理の筋は見えずとも、「ないとさびしい」「あったほうがきもちいい」くらいの思い入れとともに配置されていてほしい。「〜させていただく」からはそれすら読みとれない。私は、書きことばに関して、なくてもよいものはないほうがよいと考えるたちだ。

 「〜させていただく」は本来、相手の許可を得た上でなんらかの行為に及ぶ場面で用いられるべき表現だろう。したがって、相手から承諾や推奨のことばを受けた際の返答として「では、そのようにさせていただきます」というのは誤用にあたらない。しかし、多くの「〜させていただきます」は一方的に発せられる。司会を務めさせていただきます。資料を拝見させていただきました。

 使用者は丁寧さを演出したいのだろうか。私からすれば逆効果だ。ふたつの疑問が頭をよぎる。ひとつめ。私がいつそれを許可したのですか? ふたつめ。私の許可がなければ、あなたはそれをしないのですか? 濫用される「〜させていただきます」が私にもたらす印象は、押しつけがましさと主体性の欠如だけだ。慇懃無礼の最たるものといってさしつかえない。

 そんな「〜させていただく」をきわめて戦略的に用いた稀有な例のひとつが、「わたくし、実家に帰らせていただきます」だと思う。実際に言ったことも聞いたこともないけれど。これを、配偶者と争ったのちの捨て台詞と仮定しよう。なぜ「実家に帰ります」ではなく、あえて「帰らせていただきます」なのか? それは暗に「あなたがこの状況を招いたのだ」といいたいからだ。「実家に帰る」のが真の目的ではないからだ。